あるホームページに僕が書いたことを載せているだけだけど、イエスキリストの十字架について少し話してみたいと思う。

ピーナッツという漫画の中でスヌーピーがチャーリーブラウンをなめまくるシーンがあるんだけど、それでチャーリーが
「やめろよ、スヌーピー気持ち悪い。」っていうの。そのあと、名前忘れたけどある女の子のところにいって同じことをするけど、
女の子も「やめて、気持ち悪い。」っていうことを言うんだよね。。
最後にスヌーピーが「僕が愛してもだれも理解してくれない」みたいなことを言う。

昔フロリダにいたときに、香港人の友達が僕の食べ物を勝手に食べたり、僕が食べる前に食べるのが耐えられなくて、
ある日、「あのね、日本には『親しき仲にも礼儀あり。』っていう言葉があってね・・・。」ってことを言ったんだ。
でも、今になって香港のルームメートを持ってみて、彼らの文化では逆に、何も聞かずに食べるほうが友情の行為なんだ、ということを知った。
日本人からしたら失礼だけど、遠慮をせずに気兼ねできる友達という意味だからね。、

僕の知り合いの有名なジャーナリストは魚を飼っているのだけど、水槽を綺麗にするときに、魚をすくって別の場所に入れるんだけど、
その時魚はまるでもう殺されるかのように、逃げ回るんだって。
聖書の言葉に「わたしの道はあなた方の道よりも高い・・・」という言葉があるんだけど、そうだと思う。
スヌーピーの話も、香港の話も、魚の話も、全部「理解しきれなかった愛情」の話だと思う。

子どもがいくらチョコレートが好きだと言っても毎食それだけを食べれないのと同じように、
嫌いであってもにんじんやピーマンを親が食べさせるようにイエス・キリストも本当に必要なものをうちらにくれたんだ。
しかも最高のプレゼントをあげても喜びもせず、かえって「うざい、気持ち悪い、必要ない。」という人たちのために。


日本でも昔、侍が自分の失敗や君主の失敗のためにいのちを投げ出したように、イエスキリストもうちらの罪のために身代わりになったんだ。
文字通り、家来や下の者が君主につかえるごとく、キリストは僕たちのために仕えられた。
聖書の言葉を借りれば、キリストは御自身を無にして、死にまで従われ、実に十字架の死にまでしたがわれたんだね。

誰も十字架を理解もしていないのに。誰も真には感謝をしないのに、それでも僕たちに必要なことを知っているから、
キリストは十字架にかかったんだね。嘲られ罵られ、鞭で打たれても。
僕はたまに、自分が神で全てを知っていればいいな、と思うけど、そうではない。
宇宙がどうやって造られたのか、神様と始めからいっしょにいて全てを見てきたわけではない。
僕は何も知らない。だけど、キリストが十字架にかかったということだけは知っているよ。



それでもまだ、なぜイエスキリストが十字架にかからなければいけなかったのかは書いていないね。
前ページの答えにはなってないね。
ここでは十字架がイエスからの最高のプレゼントだ、またそれが聖書の一番言いたいことなんだ、とわかってくれたら十分です。
ゆっくり、ゆっくり書いていきます。

(ちなみに前のページが読みにくいと言われたので今回はシンプルに・・・。)






































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